BUILD 

A 

FAIR WORLD

僕たちは、平等であるべきと言われ続けています。

しかし、それは実現されていません。

 

いま、この時代は『自分ファースト』の様相を呈しています。

 

時には資金が、時には学歴が、

時には人脈が、

僕たちを平等から遠ざけています。

 

 

そんな世界を、

僕は子供たちに渡すわけにはいかない、

 

そう感じました。

 

 

 

僕は福岡県の小さな町に生まれました。

父を知らず、決して裕福ではありませんでしたが、母の愛情に守られ幸せに育ちました。

 

 

世界が僕たちだけであれば、

それでよかったのでしょう。

 

しかし、世界はそれを許しません。

 

 

様々な事柄は、

僕から母を奪うことになりました。

 

 

ふたりで築いてきた小さな家に住むことは、許されなかったのです。

 

 

貧しさが、生きるという「ほんの小さな願い」さえも奪い去る世界に私は怒りと絶望を感じました。

僕が育った町は、炭鉱の町で労働者たちの価値観が最優先されていました。

そしてそんな価値観に混じって、

片親では幸せになってはいけない。

お前の母親はこんな世の中に順応できなくて自死を選んだという声も、叩きつけるように浴びせられました。

 

子供の僕には辛いこと・・・いえ、受け止める心さえも創る事が出来ていなかったという方が正確です。

 

 

 

いい大学には貧乏人は行けない。

だからいい会社にも入れないから諦めろ。

 

 

毎日、たくさんの声が僕が夢を見る事を止めさせようと放たれました。

 

 

僕にとって、唯一の救いは映画を観る事でした。

映画館にいる時間は、僕を間違いなく幸せにしてくれました。

 

その頃から、宿命のように『映画監督になる』という夢が僕の心を支配していきました。

 

 

 

でも、その世界の価値観では、それは「絶対に不可能」と言われ続け、夢を語る事さえも許されませんでした。

 

「映画監督なんて東大出のエリートがなるものだ」

 

 

「お前には絶対無理」

 

 

僕は独学で様々なことを学びました。

 

 

学ぶことは好きでした。

 

 

小さな古本屋の50円の本を買ってはボロボロになるほど読み漁りました。

 

 

必死に学び、入れないと言われた「いい会社」に入ることが出来ました。

 

全国的に知られたホテルです。

そこのホテルマンになりました。

 

そこはビジネスの最前線でもありました。

 

毎日商談が行われ、いくつもの握手と、時には罵声、殴り合いの現場もありました。

 

 

僕は学校では学べない側面からビジネスを学び、その知識を自分の脳内バンクに蓄え続けました。

 

 

また行動する事は何物にも勝るという理論を実証すべく俳優の道へと進みました。

演出家になるためには俳優を知らないといけないと思ったからです。

 

養成所に通うためにバーテンダーの仕事をして、人間観察にも余念なく、学びながら費用も稼げる仕事に満足していました。

 

深夜までナイトクラブで働いて、融通をきかせてくれる店の為に経営に参加し朝まで会議をしたり、接待に動いたり、経営戦略を創りあげたりして、早朝から眠らないまま養成所に通い演技の勉強をして、夕方からバーテンダーの仕事をしてという生活をしていました。

 

そんな生活がアダとなり最初の結婚は短く終わりを迎えました。

 

 

そんな苦労をしても、いきなり俳優として食べて行けるほど甘い業界ではありません。

 

そこで僕は自分をプロデュースすることにしました。

自分の特徴を客観的に見て、需要のある俳優になることを目指しました。

 

戦略は上手くいき、僕はバイトを必要としない程の仕事を俳優業で稼ぐことが出来ました。

 

そうして数々の舞台を踏み、ドラマや映画に出演して現場の在り方を学びました。

 

そうした戦略は事務所の中での地位を築くことができ、僕は望むようなポジションで仕事が出来るようになりました。

 

 

ナイトクラブは支店を増やす展開にまで成長し、僕は新しい店舗の店長になるというありがたい話もいただきましたが、僕は本当に自分がやりたかった仕事の為に辞しました。

 

演出家です。

 

培ってきた知識を持って演出家のキャリアをスタートさせ、徹底した戦略は自身でプロデュースも手掛けるさせるに至りました。

 

 

自分の納得する作品を創る。

 

 

そしてそれは絶対に興行的にも黒字にする。

 

 

「東大卒でないと出来ない」ことを、次々と実現していきました。

 

 

皆から言われた「絶対に不可能」を実現し続けました。

 

 

僕は高校卒です。

大学には行っていません。

 

 

学歴重視と言われた【価値観】を越えて見せました。

 

 

順調だったキャリアでした。

 

それが終わるのはあっさりとしたものでした。

 

 

29歳の時でした。

 

 

ある映画のプロデュースです。

 

出演者のドタキャン降板から全てが音を立てて

 

本当にガラガラと音を立てて崩れていきました。

 

 

決壊したトラブルというダムは、ついにすべてを巻き込んで企画そのものを押し流していきました。

 

 

僕は責任をとって事務所を辞める事になりました。

多額の負債と共に。

 

 

当時の僕にとって1000万円という金額は個人ではもちろん見たことも無い額です。

それがマイナスとして僕に背負わされているという現実にしばらくは呆然として立ち直れませんでした。

 

 

同時に会社もクビになっています。

 

 

返済はおろか、明日の生活にも困ってしまう状況です。

 

 

僕には労働することしか思いつきませんでした。

 

古い価値観だと思っていても、他に方法はありませんでした。

 

 

それでも、焼け石に水です。

 

早朝から早朝まで、

 

 

そんな生活には慣れていたつもりでも、ただの労働では疲れ方が違います。

 

 

これまで築いてきたキャリアを思い出し、自分のいまの境遇を思うと涙が止まりませんでした。

 

 

それでも、

 

どんな辛いことよりも僕を切り裂いたのは

 

 

昼夜を問わず仕事を掛け持ちし返済に追われていた私が仮眠を取っている横で声を殺して泣いている妻の姿です。

 

 

私は考えました。

 

 

どうすればいい?

 

 

答えは、大勢の価値観とはズレたものでした。

 

 

それは、

起業すること。

 

 

僕を信じて、生活を、人生を共にしてくれる人を悲しませているという事実。

 

 

それが、僕をいちばん苦しめた。

 

 

自分を許せなかった。

 

 

大逆転なんて言うけど、世界はそんなに甘くない。

 

でも、世界が降参するような戦い方をしてみたら?

 

 

自分に出来るのか?

 

 

やるしかない。

 

 

絶対にやり遂げるしかないんだ。

 

 

僕は全力で考えた。

 

 

僕が起業するとして、

 

 

僕には何が売れるのだろう。

 

 

僕の【価値】とはいったい何だろう。

 

 

僕にはいったい何が或るんだろう。

 

 

僕は自分の全てを売り出すつもりでいた。

 

 

いっぱい自分の【価値】を考えた。

これまで培ったノウハウを、スキルを最大限に生かし、自分の中にある『売り物』は全て出すという気持ちで臨んだ起業。

 

 

時間は掛かりました。

 

 

その時間は、苦労は、

 

 

僕に大切なものを教えてくれました。

 

 

僕という「存在」を買ってくれる人が

いる。

誰にでも【価値】がある。

それは【商品】になる。

 

 

僕は俳優業を自己プロデュースという『戦略』で成功させました。

演出家として他者の【価値】を見出し、プロデュースすることで世に広める

『スキル』を持っていました。

同時に写真作家としても成功を収めていましたので、自身で創ることを得意としていました。

【価値】を【アート】として【創造】することが僕の能力です。

 

 

 

『戦略』を【創造】する。

そのプロデュース力をもって、僕は子供の頃の私にこう言う為に生きてきたと思います。

 

 

「大丈夫、誰だって夢は叶えられる」

 

 

僕は、頑張っている人を絶対に見捨てない。

そう宣言して

【Art&Creative  

OfficeELAN】を創りました。

 

 

【Art】の技術で、

【Creative】なアイデアで、

 

 

誰もが夢を諦めないで済む、本当に平等な世界の構築を目指す。

 

 

僕は、全て実践してみせる。

 

 

真っ先に突き進んで、

 

「ほら、大丈夫だよ」

 

そう言って笑います。

 

 

僕は見放したりしない。

 

 

ずっと、あなたの側にいる。あなたに寄り添えるパートナーのようなコンサルタント。

 

 

常に時代の変化を読み、そして新しい時代を創作するプロデューサーである。

 

 

それを約束します。